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一般的に「異文化適応力」が帰国生の強みだと言われます。今回はその「適応力」についてお話ししたいと思います。
●あるテレビ番組について
「どっちの料理ショー」というテレビ番組をご存知でしょうか。2種類の料理が紹介され、出演者(人数は奇数)が食べたい方の料理に投票し、得票の多かった料理に投票した出演者だけがその料理を食べられるという番組です。
この番組は一見すると、単なる料理の人気投票にしか見えません。しかし、この番組のルールこそが、日本の社会の仕組みそのものなのです。
ここでは得票の少なかった料理に投票した人のことを「負け組」と呼び、得票の多かった料理に投票した人達を「勝ち組」と呼ぶことにしましょう。
出演者は結局は料理を食べたいわけですから、勝ち組に入ろうとします。正確には、負け組に入らないようにしようとするのです。そのため、多くの出演者は自分の本心とは別に、得票が多いと思われる方の料理を探り出し、そちらに投票しようとします。その判断材料となるのが、料理を紹介している途中に何回か行われる予備的な投票と、司会者から求められる各出演者のコメントです。もちろん、予備投票の通りに最終投票で票が投じられるとは限りません。そこで、各出演者は、それらの情報を参考にしつつも、様々な駆け引きをするわけです。そして、最終的に誰がどちらの料理に投票するのかを票読みして、番組のクライマックスである最後の投票に臨むのです。
ところが、この番組のおもしろいところはまだあるのです。最終投票の後で、勝ち組の出演者たちは自分達が票を投じた料理を食べられるのですが、負け組の人たちは、大はしゃぎをして食べているその姿をじっと指をくわえて見ていなくてはならないのです。これは一種の罰ゲームで、惨めな立場に置かれている負け組の出演者は必要以上に悔しがり、その姿をカメラが執拗に追うという演出まであって、番組は終わるのです。
●日本人の本質
日本人は集団の「和」を重んじ、コンセンサスを好むと言われることがよくあります。はたしてその通りなのでしょうか。表面的にはそのように見えても、日本人の行動の根底にある考え方は、それとはかなり違うものであるように思えます。
この番組のルールや演出から読み解ける日本人の行動様式とその背景、つまり日本人の本当の姿は、一言で言ってしまえば、「勝ち馬に乗れ」というものです。これを日本における日常に置き換えると、次のようなことが言えるでしょう。
日本人は何が何でも勝ち組(多数派)の一員であろうとします。仲間や友人を裏切ってでも、勝ち組に身を置こうとするのです。つまり、日本人は常に戦々恐々としつつ、様々な駆け引きをしながら、負け組(少数派)に入らないよう日々行動しているのです。そうしないと、自分が惨めな立場になってしまうし、場合によってはこの番組の罰ゲームの延長線上にある「いじめ」の対象になってしまうからです。そして、その反動からか、いったん勝ち組に入ってしまうと、安心して強気に行動し、さらには、多数派として、「赤信号、皆で渡れば怖くない」式の行動をし始めるのです。ときとしては、勝ち組の一員であることの証明として、負け組をいじめたりするものです。
これが、表面的には調和を求めているように見える日本の社会(学校や職場や地域社会)における日常の行動であり、日本におけるいじめの背景なのです。
日本人は集団の「和」を重んじて行動しているのではなく、利己的に自己保身のために行動しているのです。そして、極論ではありますが、日本人の生活の全てがこのようにして営まれているのです。
●大学が求める帰国生
日本の大学が帰国生に求めていることは次の二つに集約できます。一つは、自然な形で日本の社会に溶け込めることです。日本人らしく行動し、大学という社会や授業の秩序を乱さない学生が欲しいのです。当然のことながら、一般の日本の大学生と同等レベルの日本語力があることも、秩序を乱さないことに含まれています。もう一つは、独自の観点をもっているアカデミックな学生であることです。一般生と変わらないものの見方をする学生であれば、一般入試で十分なわけで、わざわざ帰国枠で合格させる必要はないのです。また、大学側には最高学府としてのプライドがありますので、それに相応しいだけの頭脳をもった学生しか入学させたくないのです。
先ほどのテレビ番組についての議論が正しいかどうかは別として、このようにして日常的なレベルで日本人の行動様式を分析する能力が上の二つの要件に共通して必要なのです。それは、日本の社会の溶け込むのに必要だからであり、アカデミックな能力があることの証でもあるからです。繰り返しになりますが、帰国枠受験の帰国生に求められているのはこうした分析力なのです。
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