ESSAY

帰国子女のはしりとしての私の経験から
          上智大学外国語学部教授
 吉田 研作
上智大学外国語学部長、国際言語情報研究所所長、専門は応用言語学。
文部科学省SELHi企画評価委員、中央教育審議会外国語専門部会委員、他歴任。

 海外で長く過ごして日本に帰ると、色々苦労があるでしょう。私は今まで合計すると12年海外で過ごしましたが、特に、小学校時代アメリカとカナダで過ごして帰国した時は、日本語が出来ず、中学2年を落第し2度やらなければならないほどでした。当時はまだ「帰国子女」という言葉がありませんでしたので、変な日本人とか変な外人、と言われました。アメリカやカナダにいる間はまだ補習校もなければ日本人学校もありませんでしたし、海外子女教育振興財団のような組織は存在しなく、通信教育もありませんでした。
 このような状態で日本に戻りましたが、日本の受験地獄のことはまったく知りませんでした。日本語が殆ど読めず、自分の名前を書く時に、よしだの「し」が右を向いているのか左を向いているのかさえ分らない状態でした。
 英語だけは得意だったはずなのですが、訳読が出来ず、日本で教えられている学校英文法が分らず、結局、中学高校6年間を通して英語で100点を取ったことは一度もありませんでした。60点台を取った時は、さすがにいつもはのんびり構えていた母が私が知らない間に学校に行き、私が唯一できるはずの英語で本当にこんな点を取ったのか、と聞きに行ったほどでした。
 でも不思議なものですね。人生に目標が出来ると、人間、変わります。高校時代にESSで下級生や同級生の指導をするのが楽しくて英語の教師になろうと決意し、その目標を実現するために上智大学に進学しました。それまでの私の成績では、到底上智大学には入学できなかったでしょうが、目標が出来、自分の人生に方向性がでてきたことにより、土壇場で力が出たのでしょうか。
 高校時代、日本語に自信がなく、英語も帰国して数年経っていましたので、段々自信がなくなってきていました(特に、文法訳読ができないと当時の日本では英語が出来るとされませんでしたので、訳読が苦手だった私は、かなり劣等感に苛まれていた時期がありました)。でも、大学に入ると、自分がやりたい勉強が、自分がやりたいように出来るようになりました。言語学を勉強することにより、高校までやってきた学校文法とは全く違った科学的観点から文法は語形成規則を見ることができましたし、第2言語習得や外国語習得の原理や実験を通して、自分の語学力を改めて見直すことができるようになりました。
 子どもの頃からの海外体験がなければ、今の自分はないでしょう。ことばだけでなく、ものの考え方や行動も、周りの人とはちょっと違ったところがありました。純粋な日本人でもない。かといってカナダ人でもアメリカ人でもない。今までの全ての経験が影響しあって作り上げられた、吉田研作、という個人のアイデンティティが早くから出来つつあったのではないかと思います。
 今は、海外にいても、日本人学校もあれば補習校もあります。通信教育もあれば、インターネットでいつでも日本の情報を手に入れることができます。昔から考えれば、信じられないぐらい状況は良くなっています。大学入試もしかりです。今は、殆どの大学で帰国子女を受け入れていますし、帰国子女入試以外でも受験しやすくなっています(昔は帰国と認められなかった個人留学も特別枠で受験できるところも増えています)。
 社会も英語が出来る人を求めています。もちろん、帰国子女がみんな英語圏から帰ってきているわけではありませんが、外国語ができる、ということは、大いにプラスになっています。
 帰国子女は、ずっと日本で育った人より、多種多様な経験をしていますので、個性が豊かな人が多いのではないでしょうか。語学力だけでなく、そのような個性が益々重視される世の中になってきています。海外で暮らした経験があり、今後のグローバル社会を担っていく者として、自分が今まで培ってきた経験を大切にしてください。



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