| ESSAY |
| 文化と進化 | ||
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| ●“ギャル”の会話 先日のこと。都内の電車内で“ギャル”(16〜20歳近辺の女子。1年中日焼けしていて、髪は主に金髪のロング。目の周り全域が銀色のアイシャドウで縁取られていることが多い。)2人が、扉まえにあぐらをかいて座り込み、大声で話をしていた。彼女らの眼には、混雑している周囲の乗客は入っていないようだった。話の内容は、バイト仲間への不満だった。曰く、「もうホンット、信じらんない!なんで、あそこで私にああいうことが言えるワケ?自分がバイト休む時は平気で頼むくせに、私がちょっと、こんどバイト代わってって言ったら、“そういうの私できないの”だって!常識ないって、ああいうのを言うんだよね!」「そうよ、あの娘いッつもそうよね!ホント常識ないよねッ!!」思わず、おまえ達の方こそどうなんだ?常識がないのはおまえ達のほうだろ?と突っ込みたくなった。一体何考えているんだか?! でも、それから私は考えた。本当に彼女達は何を考えているのだろうかと。 ●哲学も進化する? ここで、話は大きくそれるが、最近、私は哲学の発展について考察し、自分なりにまとめてみた。哲学、つまり人間の基本的なものの見方・考え方の発展をたどってみると、人間が赤ん坊から大人へと成長していくように、哲学(思想)も段階を追って成長してきていることが解かり、興味深かった。中でも特に興味を引いたのは、哲学思想の発展において、異文化との出会いが大きな意味を持つということだった。哲学は、万物の原理は水であるとしたギリシアのタレスに始まるとされている。しかし、これは、ギリシアでの交易が広がり、それまでの部族の物語が異民族に通じなくなったために、何らかの共通の考え方を生み出す必要性が生じてきたためと言われている。その後も哲学は、同様の進化過程をたどっていくのである。すなわち、これまでの価値観では通じない、交易あるいは時代状況に出くわすたびに、哲学は、考え方の変更と進化を迫られて来たのである。 ということは、裏返せば、自分たちの価値観の変化を促す外部(その典型が異文化)との出会いがなければ、考え方の進化も無いということになる。 ●“ギャル”の常識 ここで話を先ほどのギャル2人組みに戻して考えてみよう。彼女達は、自分達を取り巻く狭い小世界のみで過ごしてきたために、より広い外部の世界(社会全般)の考え方=常識を身につける機会を失ってきたということになる。けれども、彼女達は全く「常識はずれ」なわけではない。なぜなら、2人が口にする常識=「人に世話になったら、その人に恩返しをするのが礼儀だ」は、外部(少なくとも日本社会)の常識としては真っ当なものだからである。そこで問題は、なぜ彼女達はこのような中途半端な常識を身に付けているのかということになる。 ●文化と進化―「ヒト」に進化しよう ここで、私は考えた。先に述べたように、文化は異文化との交流を通じて進化する。けれども、この進化を受け継ぐには受け継ぐ側に相当の努力と研鑚とを必要とするのだ。つまり、こういうことである。人間は、努力・研鑚を怠っていると、進化の前段階に留まったままになってしまうのだ。たとえは悪いが、彼女達は文化進化のレベルで言えば、まだ高度な「ヒト」のレベルにまではなりえずに、「サル」の段階に留まっているといえる。「ヒト」には「サル」が何を考えているかは解かるが、「サル」の方からは、「ヒト」が何を考えているかは解からないことが大半であろう。だから、放っておけば、「サル」はいつまでたっても「サル」の常識に留まってしまうことになるのだ。彼女達がバイト仲間の常識はずれを非難するのは、あくまでも素朴な(「サル」レベルでの)常識を基にした非難であり、先の電車の中でのように、「周囲の無関係な人達にも迷惑をかけてはいけない」というのは、高度な社会的な常識(「ヒト」レベルでの常識)なのである。彼女達の進化レベルでは、高度な社会的常識(「ヒト」レベルでの常識)は理解できなかったのだ。 しかし、恐ろしいのは、このギャル達だけではなくて、誰もが彼女達のように「サル」レベルの進化で留まってしまう可能性があるということだ。人間は普段自分を基準に物事を判断している。けれども、その判断が文化的に「サル」のレベルであったとしたら?より高度な社会的常識を身につけないまま大人になってしまったとしたら?...... 幸いにして、諸君は異文化という進化を促す環境の中で過ごしてきた。しかし、この環境を真の進化につなげ、「ヒト」のレベルに到達していくためには、諸君も日々の努力と研鑚を怠ってはならないのですぞ! |
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