ESSAY

大震災と自然と日本文化
          
代々木ゼミナール国語・小論文講師
内田 智子  
          
代々木ゼミナール国際教育センターにて、帰国生の受験指導に長年携わる。小論文の個別指導も担当。私立高校の講師もしつつ、野球・写真・音楽・美術・旅に興味津々の日々。
   

●未曾有の大震災の日に 
  2011年3月11日。日本人にとって、忘れることのできない日。この日を境に、世界が変わってしまったと言えるほどの衝撃的な一日。世界のどこかでこのエッセイを読んでくださっている皆さんもまた、ニュース映像や出版物を通じて、変わり果てた東北の地の惨状を目にし、これが現実でないことを願ったのではないでしょうか。
  3月11日午後2時、私は東京の中心、皇居のお濠に面した9階建ビルの最上階にある「出光美術館」にいました。代ゼミの生徒たち5人を引率していたのです。前日は一橋大学の合格発表、数日後に東大の受験を控えた時期でしたが、ぜひ彼らに見てほしかった美術展が開かれていたからです。
  帰国生は「文化とは何か」ということに強い関心を抱いています。彼らは異国で暮らして、はじめて日本の文化の良さや素晴らしさを再認識するのだといいます。また現地の友達に聞かれて、はじめて自分が日本の文化について意外と知らないことに気付いたという話も聞きます。日本文化の中で当たり前に暮らしてきた自分に、日本文化とは何か改めて考える機会が生まれる。帰国生にとって、海外生活はそのような大きな意味を持っているようです。
  実際、帰国生入試の小論文の課題も「文化とは何か」といったテーマが出題されることが多いのです。ならば、本物の美術を通して「文化の本質」を知ってほしい。そんな機会を作るのも、私の役目だと思っています。

●光琳の金 抱一の銀 
  今回の展覧会は、桃山時代末期から江戸時代に花開いた「琳派(りんぱ)」芸術の作品を、系統立てて紹介するものでした。俵屋宗達(たわらやそうたつ)の「風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)」などは、どこかで目にされた方もいると思います。日本画の展覧会は、高校生にとって馴染みの薄いものかもしれませんが、彼らの感性が何を捉えてくれるのか、とても楽しみにしていました。
  会場の途中にある酒井抱一(さかいほういつ)の「紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)」の前にさしかかった時、生徒たちは立ち止まり感嘆の声をあげたのです。「これはすごいですね」「金屏風では出せない梅の美しさがある」と。
  「屏風絵」というのは、日本の美術のひとつの特徴です。通常は尾形光琳(おがたこうりん)の金屏風のように、金箔を下地にして描かれるものですが、この屏風は夜の空気を思わせる銀の下地に、凛として清楚な趣をたたえた梅が佇(たたず)んでいるのです。受け継がれてきた日本画の作法を打ち破って、抱一は、自分の感性が選んだ「銀」の空間に、薄明(はくめい)に咲く花の命を描き出したのです。
  私は、この屏風をどうしても見てもらいたかったので、彼らが一番にこの屏風を気に入ってくれたことに胸が熱くなりました。「説明する」とか「教える」といったことではなく、彼らは確かに「日本の美」「日本の文化」を自ら感じ取ったに違いないと思いました。

●自然に生かされているということ 
  まさしくその直後、会場の床がぐらりと傾き、それからは大海に漂う小船のように、展覧会場が揺れ続けました。このままこのフロアがすっぽりと抜けて、空中に放り出され、死んでしまうのかなと思いました。交通機関がストップし、避難した先で、5人の生徒と一晩中語り明かしました。
  歴史に刻まれるであろう大災害の日に、この「琳派の芸術」を生徒と共に鑑賞したことは、ある意味運命だったのだと思います。
  琳派の芸術の多くは「自然」を描いたものです。タンポポ、レンゲ、百合、桔梗、菊といった四季の花々と小さな動物が描かれています。それはこの世に生を受け、確かに息づく生き物たちです。しかし、自然は移ろいやすく、はかない。春夏秋冬、時が流れていく、その流れの中に命がある。生き物はみな、自然の懐に抱かれてこそ生きられる。
 いにしえの日本人は、そのことを知っていた、というより感じていたと言えるのではないでしょうか。だからこそ、愛おしささえ感じられるほど丁寧に、命の姿を屏風絵や陶磁器に写しとどめたのだと思います。
 「自然に生かされている」
  このことを大切に思うということが、日本の文化の核にあるのではないでしょうか。
  大震災で壊滅的な被害を受けた東北の映像を見るにつけ、自然の脅威の前に人間はなす術もないのだと、無力感にとらわれます。しかし、日本人が「自然に生かされている」ことを忘れなければ、やがて自然は芽吹き、私たちに恵みを与えてくれ、この国は再生できる。そう思うのです。


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