ESSAY

帰国生の隠された「特性」
          
代々木ゼミナール国語・小論文講師
木村 勧
          
帰国クラスの「現代文」と「小論文」を担当しています。今回は、帰国生自身が気付いていない彼・彼女らの重要な「特性」について書いてみました。
   

●私の特技 
  実は私にはちょっとした「特技」がある。両手を自在に扱えるのだ。いわゆる「両利き」である。文字を書くのも、絵を描くのも“両手がイーブン(even)”である。実際、教室の板書では、両手を交互に使い分けている。たまに授業の「息抜き」に両手で同時に書いて(といっても左右同じ内容しか書けないが)、ちょっとした“パフォーマンス”を見せたりもしている。そして、私自身成人するころまで気付かなかったのだが、この「両利き」の人間には、ちょっとした特徴があるようなのである。ひとことで言うと“二重人格”である。といっても精神が二重に分裂しているのではない。右手と左手の人格が異なっているのである。意味がお分かりだろうか?(ちなみに私と同じ「両利き」の生徒に聞いても同じことを言っている。)私の場合は、右手は「堅物( かたぶつ)」の人格で、着実だが柔軟性に乏しく、いってみると面白味のない性格である。これに対して「左手」はユニークなやつで、右手とは“真逆”の性格である。着実性はないが、のびのびしていて自由であり、発想が奔放である。私の発想はいつもこの右手と左手の瞬間的な対話から生まれてくる。そのせいか発想に困ることはあまりない。学生の頃友人に「右手と左手って、人格が違うだろう?」と何気なく話したところ「何言ってんの?」と怪訝( けげん) な顔をされて、ようやくこの特徴がちょっと変わった「両利き」の人間だけのものだと気付いた次第である。

●授業中の同時通訳 
 ところで、大体において、帰国クラスの授業は、本科生のクラス(国内生のクラス)と比べて盛り上がる。授業内容も予想外の展開を見せ、思いがけない成果が得られることが多い。授業テキストの本文に「通訳」のことが述べられていた時のことである。「皆は通訳はお手のものだけれど、“同時通訳”のできる人はいる?」と問いかけたところ、幾人もの生徒の手が挙った。そこで私の授業をその場で同時に通訳してもらうことにした。驚いたことに、中国語、スペイン語、フランス語etc と、彼・彼女らのそれぞれの滞在国の言語で、ものの見事に授業の同時通訳をやって見せてくれたのである。教室内は拍手と歓声の渦である。そこで、クラス全員に、そもそもどうやって「通訳」を行なっているのかを聞いてみると、まず相手が話す内容が一つの塊(かたまり)となって頭の中に浮かび、次いでその塊を瞬時に滞在国の言葉に置き換えるのだという。ここで思った。これは私の右手と左手の会話と同じであると。(ふぅ〜ん、ならば私も“二か国語”同時通訳の使い手なのか……。)

●見えてきた答え:帰国生の本当の個性とは? 
   最近、Y-SAPIX *の「リベラル読解」という講座(一冊の本を通読して、ディスカッションを行うもの)で、水村美苗氏の「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」(筑摩書房)を扱ったのだが、その内容がよみがえってきた。そこで水村氏が説いていたのは、自国言語(国語)及び自国文化の成立にとって、「二重言語者」が決定的な役割を演じていたということである。水村氏は、二重言語者が異文化の他言語を自国に導入することで、自国語と自国文化が成立したのだという。つまり二重言語者は、言語及び文化形成・定立の源( みなもと)(原動力)であり、二重言語者こそ言語及び文化の本来的な担い手だというのである。
 帰国生の彼・彼女らは、程度の差こそあれ、間違いなく「二重言語者」である。加えて、彼・彼女らは生き生きと異質な言語と文化を変換できる「二重言語者」である。言い換えれば、彼・彼女らは本来的な言語・文化の定立・制定者であり、文化を動態的に発展させることのできる極めて貴重な存在なのである。にもかかわらず、彼・彼女たちは自らこの特質に気付いていないのだ。あたかも「両利き」だった私の“二重人格”があまりに当然であったために長く気付かないままであったのと同じように。
 多くの帰国生は自分の個性を日本国内でどのようにアピールしたらよいか、そのアピール・ポイントを見いだせないで悩んでいる。私には、見ていて歯がゆくてしょうがないのである。そう、今そのままの君たち自身の存在が、文化を定立し発展させる原動力=エンジンなのだよ。早く気づきたまえ!その上でしっかり勉強し研鑽( けんさん) を積んで明日の日本、いや人類社会を支える存在に育っていくのだ。日本と世界の将来は君たちの肩にかかっている!!


*Y-SAPIX:サピックス・代ゼミグループが全国に展開している東大・京大・医学部・難関大現役合格塾
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