ESSAY

Is Gold Better than Silver?
〜弁護士2年目の心構え:とことん悩み、駆け回る〜
          
弁護士
藤木 和子
          
高校時代にアメリカへ3年間留学。代ゼミ帰国大学受験コースを経て、東京大学法学部、同法科大学院卒業。大学在学中は、フェローとして帰国生の後輩を指導、テニス部のキャプテン。現在は、弁護士として、日々奮闘中。
   

●まだ「金色」の「バッジ」を付けて 
  弁護士2年目。子どもが大人になるまでに20年かかるように、どうやら、弁護士も一人前になるには同じ位の年月がかかるようです。長い経験を積むうちに、「金色」の「弁護士バッジ」も表面が削られ、「いぶし銀」になります。しかし、「金色」でも依頼者の人生を背負うという「バッジ」の重みは同じです。毎日、依頼者の方々と一緒に悩みながら、全力で駆け回っています。
  私が受け持っている裁判の一つに、当時19歳の大学生が119番通報をしたけれども救急車が来ず、亡くなってしまった「山形救急車訴訟」があります。生きものが好きで、夢に向かって真面目な大学生活を送っていた青年。最後の助けを求め、話すのもやっとの苦しそうな声が、119番通報の録音テープに残されていました。もう何十回と聞いていますが、その度に突然消えてしまった未来の重さをひしひしと感じます。「もう二度と同じような事件が起きてほしくない」、ご遺族と心を重ねて裁判に臨んでいます。
  また一つに、耳の不自由なお母さんが、市から手話通訳の派遣を断られてしまった「高松手話通訳訴訟」があります。これは、聴覚に障がいのある人が情報を取得する権利、すなわち「聞く・知る権利」のための重要な裁判です。聴覚に障がいのある弁護士を中心に、全国の「いぶし銀」から「若手」まで、40名程の弁護士で弁護団を組んで活動しています。「手話」は、原告・ろう者の方々の大切な言語です。私は原告・ろう者の方々と、拙くても、直接「自分の言葉」で話したいと思い、「手話」を始めました。
  障がいの分野の本質は、与えられる「福祉」、「思いやり」、「やさしさ」ではなく、人間が生まれながら当然に持っている「権利」です。そして、「権利」を守るためには「法律」が必要です。昨年は、聴覚障がい関係団体からアメリカに派遣され、司法省(DOJ)などを視察し、障害者差別解消法、情報アクセス・コミュニケーション法、手話言語法を制定するための調査を行いました。視察団のメンバーは、「この道何十年以上」の聴覚障がい当事者関係、手話通訳・要約筆記関係の方々と私です。視察では、日本とアメリカの「先人」が、「熱意とやりがい」を持って共に取り組む姿を見て、私も後に続けるようになりたいと思いました。現在、立法に向けて政府に提出する報告書・提言をまとめています。

●深夜、事務所のソファーに横たわり 
 ところで、私のボスの「いぶし銀」弁護士は、書面をあっという間に書き上げてしまいますが、私はそうはいきません。締め切りが迫っている時は、深夜にカップラーメンをすすりながら事務所のパソコンに向かうことも…。調子が乗っている時は、徹夜で夜が明けるまで続けますが、眠くなり煮詰った時は待合室のソファーで寝てしまい(ちゃんと毛布もあります)、朝、目が覚めてから、また始めます。ひんやりとしたソファーに横たわり目を閉じると、学生の頃を思い出し少し頭が冴えてきます。
 私は、日本の大学に進学することを決めて帰国し、弁護士を目指そうと思い法学部に入学しました。しかし、司法試験の勉強を始めるまでには時間がかかりました。あちこちに頭をぶつけながら、たくさん悩み、たくさん本を読み、たくさんの人に会いました。
 また、弁護士として、障がいの分野に進むか、全く別の分野に進むかについても、さんざん迷いました。そこで、思い余った私は、障がいの分野で大きく活躍されている、ある先生の連絡先を調べて、ご相談のメールをお送りしました。この1通のメールが現在につながるきっかけでした。

●依頼者の方々に教わったこと 
   私は弁護士になって、逆に、依頼者の方々から「人生」について教わり、育てていただいているような気がします。何よりも大事なのは、「『自分の人生』を真剣に考え、大切にすること」。このことは私も依頼者の方々も、障がいの有無も関係なく同じことだと思います。
 今は目の前の仕事を全力でやるのみです。朝起きたら昨夜からの続きの書面を完成させて、「OK」をもらい、裁判所に出し、そして次に締め切りが近い書面の準備。同期との飲み会もなかなか行けない忙しい毎日です。しかし時々は立ち止まり、「私は、『自分の人生』を真剣に考えている?大切にしている?」と初心を思い返すようにしています。一緒に大いに悩み、そして、前進しましょう!


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