ESSAY

日本の閉塞状況を打破する起爆剤としての帰国生
          
代々木ゼミナール英語講師
妹尾 真則
          
京都大学文学部哲学科卒。専門はドイツ現代哲学。得意分野は語学。特にスペイン語を得意とし、テレビ、ラジオなどでの通訳経験あり。代々木ゼミナールでは、帰国生コースの他、一般生のコースも担当し、毎年多くのテキスト・模試を作成。受験テクニックを一切排した、本物の学力養成を主眼とする教育を、生徒だけでなく、自らの4人の子どもに対しても実践している。
   

●勉強は遊びだ!
 代々木ゼミナールで英語を教えている妹尾真則(せのおまさのり)と申します。どうぞよろしくお願いします。
 さて、私の授業のモットーは「勉強は遊びだ!」です。遊びと言っても、ふざけていいかげんにやろうということではありません。「好きこそ物の上手なれ」と言われるように、勉強それ自体を楽しんでやろう、その時に学力は一番向上するのだから、ということです。
 勉強を遊びとして楽しむことが学力をつけるための一番大事な真実だということに、私は若い頃に気づきました。そこで自分の子どもが学校に通いだしたら、勉強が大好きな充実した人生を歩んでもらいたいと思い、そのように育てることを決心したのです。
 その結果、わが家の子どもたちはみんな、勉強が大好きです。
 私は代々木ゼミナールでも、生徒たちにまったく同じように接しています。生徒たちに勉強を強制するのではなく、また、おどしや褒美ほうびを原動力とするのでもなく、勉強それ自体が大好きになるように仕向けることによって、生徒たちの中に秘められた無限の可能性を引き出すのです。


●閉塞感に覆われている日本
   長男が中学校に入学する時に、私はあることを話しました。
 それは、日本の普通の中高生みたいに暗くなるなということです。私がいつも教えている帰国生のように、明るく怖いものなしの気持ちで生きろ、と。
 さて、なぜ、日本の中高生は暗いのでしょう?正確に言うと、日本の大学生は明るく元気なのに、日本の普通の中高生は帰国生に比べて、確かに暗いのです。なぜでしょう?それは抑圧されているからです。西洋合理主義の論理で運営されている大学に通う大学生とは違って、中学生や高校生は、本当の勉強とは違う、詰め込み式の不必要な重荷を押し付けられて、「勉強」しなければ社会から落ちこぼれるぞ、という暗黙のメッセージをさまざまな方面から始終浴びせられており、友達とのおしゃべりやゲームに逃げているのです。
 勉強面だけではありません。上から押し付けられた理不尽な社会規範にがんじがらめにされており、自らの本心を口にする機会すら与えてもらえず、「〜したい」ではなく、「〜しなければならない」が行動基準になっているかのようです。
 日本の学校では、民主主義的な価値観が重視され、個人の力を伸ばそうという取り組みがなされているように表面上は見えます。そして現にその観点から日頃の教育活動を行っている先生方もいらっしゃいますが、そのような先生方はわずかです。日本が戦後、国際社会の中で生き残っていくために西洋合理主義に基づく民主主義思想を受け入れたのは事実ですが、それは本来的な意味ではまったく根付いていません。
 日本はいつまでたっても個人の意思を尊重しない、弱者を抑圧する集団主義の社会のままです。そこでは、自分の力を押し殺してでも和を大切にすることが強調されます。
 それと同じことですが、日本では民主主義とは到底相容れない、権威主義がいまだにまかり通っています。民主主義の価値観では、たとえ、親や先生や政府の言うことでも、おかしいと思ったら、論理的に反論し説明を求める権利が誰にでも与えられてしかるべきです。しかし日本では、口答えはよしとされず、論理的かつ正当な反論が屁理屈として拒絶されます。そして消極的な遠慮や謙虚が跋扈ばっこし、それが、ねたみやそねみにつながり、いじめにもつながる社会状況の中でそのひずみは弱者である子どものもとに集中します。
 そのような社会のほどこす教育が、心も体も活発な十代の伸びようとするエネルギーを押し殺し、押し黙らせてしまうのは想像に難くありません。(戦後の歩みについては、政治も教育も、ファシズムを自己批判し、内からの改革に成功したドイツの例が日本のよいお手本になると思うのですが、ここでそれに触れる余裕はありません。


●文化の衝突の担い手としての帰国生 
 帰国生の諸君は十代の大切な時期を、そのような個人の力を押さえつける状況から離れて暮らし、自分の力を全面的に表に出す機会を与えられ、普通の日本の中高生にはない明るさを身につけています。
 もちろん、日本と海外とを対比するこのような2元論がステレオタイプであることはわかっています。海外にもさまざまな国がありますし、ねたみそねみやいじめが問題となっている社会もあります。しかし、それが有意な差を生み出しているのも、帰国生に接したことのある人なら誰にでもわかる事実なのです。
 帰国生の諸君には日本のこのような閉塞状況を打ち破る起爆剤として存分に力を発揮してもらいたいと思います。古代以来、文化の衝突が新たな未来を創造してきました。そのような創造へとつながる文化の衝突の担い手としての役割、それが大学が諸君に求めている資質の中心です。
 そう、私の大好きな帰国生諸君は、一人ひとりの人間が自らの内なる力を発揮して充実した人生を全うすることのできる、平和な日本の未来へとつながる希望の星なのです。


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