ESSAY

自分色の答えを求めて
〜惑わされない勇気を持つ〜
          
国際NGO勤務
徳地 宜子
          
高校卒業までの19年をアメリカ、香港、シンガポール、中国などで過ごす。代ゼミ帰国コースを経て2010年に東京大学法学部を卒業し大手証券会社に入社。東日本大震災を期に人生を再考。岩手県にて復興支援の活動を2年ほど行った後、国際NGOにて海外の災害支援などに携わる。
   

●自分の中の「日本」と決着を
 「日本について教えてよ!」「日本語話してみてよ!」これらの質問は私が最も嫌いだった質問でした。生まれてから高校卒業までの19年近くを私は海外で過ごしています。通った学校はほとんどが現地校。おまけに母親が台湾人ですので家族の会話は中国語。日本に住んだことがない、日本語が小学生レベル、日本について何も知らない。それでも日本人であり、日本人だとはっきり自覚する私にとって、私の中の「日本」を発見し、それと対面する、それは避けて通れない道だと思いました。そのために単身帰国し、受験することを決めました。私の当時のこの決断は後に人生を前に迷いで右往左往する私にとって、自分を知るという「ルーツ固め」という役割を果たしたと思っています。


●壁の外の世界
 大学では法学部に進学。大学入試の面接では環境問題に法的アプローチを行ないたいと言って入学したものの、環境問題の「正解のなさ」に辟易し、早々に目標を見失いました。その後法学部の三分の一の人たちが進む法曹の道や、もう三分の一の人たちが進む官僚の道などを順番に検討し、結局は証券マンだった父の影響もあり、卒業後は証券会社に入社。外国株の機関投資家担当の部署に配属されました。

 ところが、入社一年が過ぎようとした時、東日本大震災が起きました。私はテレビで見る被害の様子に衝撃を受けました。この被害と悲しみと困難の大きさの前で、私は手に取れないものを売り買いするこの生業に従事することに疑問を感じました。もっと直接的に誰かの役に立つ仕事がしたい、そう強く思いました。結局紆余曲折を経て、入社一年半で会社を退職。消去法ではなく、きちんと自分のやりたいことを見つけたい、そう思って、全財産を身につけ4ヶ月間の文字通りの自分探しの旅に出ました。

 旅行した中で様々な人と生き方に出会い、私の道は法曹、官僚、大手企業以外にもあるかもしれない、ということを知りました。幼いころから勉強ができ、周囲や親に期待され、いつの間にか自分とはそういうものだと、所謂世間でいう「エリート」の道を歩むものだと思い込んでいました。周りや自分の期待に応えなければ、そういう思いや思い込みが、私をがんじがらめにし、私の進む道を狭めていました。私自身が何をやりたいか、何ができるか、何が向いているかとは関係なく、社会や私自身の私に対するイメージが、所謂「エリート」の既定路線以外の広い広い世界が見えないように高い高い壁となっていたのです。


●それぞれの答えでよいのかもしれない、多分、おそらく。
 非常に長い迷いの日々を経て、最初に考え直すきっかけとなった東日本大震災の支援に関わりたいと思い、2012年5月にNGOに転職。岩手県大船渡市に移り住み、2年2ヶ月草の根の支援活動に従事しました。友人には「よく続くね。」と言われ、親には「いつちゃんとした仕事につくんだ?」と聞かれ、同じスタート地点にいた大学の同級生が華やかなキャリアを歩むのを横目に、津波で深刻な被害にあい、娯楽施設も文化施設もない、余震で度々避難を余儀なくされる場所で、私は目の前にいる人が笑顔になれるにはどうすればよいか、どうしたら一人ひとりニーズの違う人たち、見知らぬ人たちと向き合えるかを考えていました。なぜ自分は家族や友達と離れ、好き好んでここにいるのかと度々自問しました。正直、非常に不安で、取り返しがつかない選択をしてしまったのでは、と思うことも一度や二度ではありませんでした。そのような苦悩もありましたが、地元の人々の言葉や笑顔に接して私の「天職」はここからそう遠くない場所にあるんだと、確信しました。

 高い壁を勇気をもって出たものの、外は広い原っぱでした。それはどこにでも向かえる自由がある一方で、どこに進むべきか正解のない世界です。私と同じような道を進んでいる人もいますが、その理由や、進み方、興味関心、キャリアの積み方がすべて違います。いろんな人の意見を聞くことはできますが、結局どこに向かってどのように歩むのかを決めるのは私しかいません。既定路線でない人生は恐らく既定路線の人生と比べて数倍難しいかも知れません。そして数倍遅いかもしれません。

 大船渡での仕事のあと、私は東京に戻り、同じNGOで海外支援の仕事に就きました。防災のプロジェクトの企画をしたり、また偶然仕事で行っていたネパールで地震にあい、ネパールでの支援、災害対応のプロジェクトの企画、立ち上げ、実施などを行いました。今の私は最初に「壁の外」を見た4年前と比べ、自分のやりたいこと、やれること、向かいたい方向を少しはわかってきたと思っています。ただ、当時感じていたような迷いは今でも感じますし、常に戸惑いながら、様々な声や眼差しに惑わされながら、一歩一歩自分の心を裸にしながら、歩んでいます。
 正解は恐らくありません。でも、それでよいのかもしれません、多分。私が「正解」だと思えるのであれば。皆さんも自分の正解を探してみてください。


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