ESSAY

大学にて
−人生の転機と「異文化」との遭遇−
          
代々木ゼミナール国語・小論文講師
木村 勧
          
一橋大学法学部卒業。国際教育センター(帰国クラス)の他に東京本部校、立川北口受験プラザ、大阪南校に出講。代ゼミ講師歴24年。代ゼミ講師の前はプロ家庭教師歴10年。職業は一貫して受験教育。思えば長らく受験と関わっている。最近人生を振り返ること多し。このエッセイもその流れを汲んでいるのかもしれない、としみじみ思う。
   


●大学にて
 私は、週に何回か母校の一橋大学図書館に出かけている。代ゼミの立川駅北口の校舎に行きがてら授業の準備やら、原稿の作成に重宝して利用している。大学図書館は時計台の下がメインの閲覧室で、そこで自由に調べ物や勉強ができる。この大学の学生になっている帰国生の教え子たちも多くいて、図書館や大学構内で出会うと挨拶してくれたり、声をかけられて立ち話に及ぶこともしばしばである。周りの学生は、「先生!」と呼びかけられている私のことを大学の教員と思っているかもしれない。
 彼らから色々話を聞くと面白い。「先生、あいつ(匿名)は帰国生のくせに、語学の基礎クラスに入れられそうになったので、交渉して標準クラスに再編入してもらったんですよ!」「あはは、なにをやってるんだろうね。」
 そうこうしているうちにその噂の彼に構内で出会うと、帰国クラスの時とはうって変って、凛々しい顔つきになっていた。「ずいぶん賢そうな顔つきになったね。」私にこう言われて彼曰く「いえ、先生僕はもともと賢そうな顔をしてましたよ!!」とにもかくにも帰国クラスの皆と大学で会うのは楽しい。受験生当時の彼らと、環境も変わり随分大人になった彼らとをつい比べて、皆の成長にまぶしさを感じる。
 ここで話は過去にさかのぼる。


●これまでの自分
 私は大阪の出身である。高校を卒業するまではずっと大阪で暮らしていた。思えばただ受験に向けた味気ない毎日の連続だった。当時の自分は悲しいことに、そんな自分の状況すらわかっていなかった。何となく空しい思いに捉われているだけで、それがなぜなのかわからないままにずるずると日々を過ごしていた。ともかく大学に入るために勉強していればいいと思っていた。高度経済成長期のそんな風潮の世の中であったのかもしれない。友達も特に必要ない。彼女なんてもってのほか、無関係の世界だった。今から思えば内面に潜在的な不条理を抱えた出来の悪い人型ロボットといってよかった。とはいえ成績が良いわけでもなく、全てにおいて中途半端だった。


●転機
 いよいよ大学受験を迎えたが、志望校には合格できなかった。親も浪人して良いと言っていたので、一念発起して地元から離れ、志望校への合格を謳っていた京都の予備校に通うことになった(当時は代ゼミを始め大手予備校はまだ関西に進出していなかった)。予備校には下宿して通うことになった。予備校自体は高校時代とあまり違いはなかった。毎日が問題練習とテスト、成績ランクの掲示の連続だった。しかし、下宿は違った。「無法者」の集まりだった。平屋の大所帯の下宿で、合計10人の受験生が下宿していた。私には衝撃の「社会」だった。皆出身地もばらばら、通っている予備校も様々で、考え方、いや、そもそも世界観が全く違っていた。F田君は受験の諸費用は自分で稼ぐと称して働きながら予備校に通っていたが、髪型はアフロヘアー、バイト先はバーのバーテンであった。K西君はいつも下宿の台所でキャベツを炒めていた。一日数時間台所でキャベツを念入りに炒めていた。「こうすると将来結婚した時に奥さんの気持ちが分かるから」だそうだ。F中君は、基本的生活資材は他の下宿生からの調達で間に合わせるという生活スタイルだった。毎日各下宿部屋を回って食糧や日用品の余りを集めるのだった。そしてF中君の趣味は何でも集めることだった。困った時にはF中君の部屋を訪ねれば大抵のものは間に合った。皆個性的で自由だった。今まで会ったこともない人間たちの集まりだった。思えばまさに私にとって「異文化」体験だった。この下宿生活で私は変わった。初めて人生を自分で自由にコーディネートして良いのだと思えるようになった。
 そうこうしているうちに受験の時期を迎えた。当初当然のように関西の大学を受験すると思っていた私に、先に一橋大に進学していた高校時代の友人から一枚のはがきが届いた。「おまえ、関西も良いが東京もいいぞ。一橋は、おまえに向いているんじゃないか。いっぺん赤本でも見てみ。」天啓とはこのことだった。東京、大学、自由…と気持ちがときめいた。しかし、時は願書提出締切時期に近づいていた。今から大学に願書を取り寄せても、もう間に合わない。縁がなかったか……無念。と思っていたら、例のF中君が夕食の残りを回収に回ってきた。「どうしたの?なんか沈んでる?」「いや一橋大の願書がほしいんだけど、もう間に合いそうにないんだ。」「えっ?一橋?願書ならオレ持ってるよ。」「は?F中君一橋大受けるつもりだったの?」「いやぜ〜んぜん。全国の受験願書集めてたんだよオレ。使う?」「いいの?」「うん、いいよ。」というわけで私は無事に一橋大を受験することができ、何とか入試にも合格出来て、東京での大学生活が始まった。思えば、地元を離れて本当に自由に自分を見つめ直し、自分という存在を一から刷新した大学生活だった。はじめて本当の自分を生きている気がした。そんな私にとって一橋大学は私の第2の揺りかごであり、一橋大の風景は大げさではなく私の原風景なのである。


●再び大学にて
 今、私は一橋大の時計台前のベンチで佇んでいる。不思議なことに私が見ている光景は数十年前に見た景色とほとんど変わらない。当時の私が見たのと同じ若い世代の学生たちが行きかっている。あれから確実に数十年が流れたが、景色は変わらず見ている私だけが変わっている。私が見ている学生の中に、帰国生の皆がいて、その中に当時の私も交じって歩いている。時間は流れるが変わらないものの存在を感じる。
 出会い、自由、自己発見…こういうものこそ世代を超えて普遍的な価値があるのだろう。私にこのような宝をもたらしたものは、下宿のメンバー、東京という別世界、そして大学というつまりは「異文化」との遭遇だったのである。



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