| ESSAY |
| 学校で人権尊重を学ぽう |
| 代々木ゼミナール国際教育センター元主任カウンセラー 櫻井道夫 |
| ●教職課程の現場にて 現在、世の中は資格の時代である。厳しい雇用情勢の影響もあり、最後に頼りになるのは資格というわけか、資格取得のための教育機関は花盛りである。こうしたなかで、取っても役に立たない資格の最たるものといわれているのは何だと思うか。残念ながら、教員資格だそうだ。少子化の影響で教員採用枠は極端に少なくなっており、採用されるチャンスは極めて少ない。かつては、資格の最人気だった教員資格も、取るのは簡単だが、取っても職に就ける可能性がほとんどなくなったので、最も無駄な資格に転落してしまったらしい。 しかし、それでも教職を目指す学生は結構いる。私が出講している大学でも教職希望の学生が、厳しく出席を採るよとプレツシヤーをかけても、ほとんど減りもせず頑張っている。私語・居眠りもなく(させないように工夫はしているが)、携帯電話も鳴らず、こうした学生に接していると日本の将来も捨てたものではないなと感じてしまう。 また、昨年度代々木ゼミナールでかかわった学生は、どうしても社会科の教師になりたいからと、合格した上智大をキャンセルして東京学芸大学に進学した。やる気のある、努力する学生を教師にさせてやりたいと思う。 ●最近の教育問題 17歳の少年犯罪が続発した。西鉄高速バス乗っ取り事件が起きた時には、首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」(江崎玲於奈座長)が座長緊急アピールを採択し、子どもたちに対して命の尊さを訴えるとともに、親たちに向けては「他人の子供も含めて、ほめるべきはほめ、叱るべきは叱ろう」と呼びかけ、大人が子供たちと正面から向き合うことの必要性を強調した。 この他にも教育界には多くの課題が言われている。学級崩壊、いじめ、不登校、大学生の学力低下等々、問題は目白押しである。文部省なども「ゆとり」、「生きる力」、「総合的な学習の時間」の概念を取り入れ、新たな学校づくり、高校の多様化など教育の変容を模索・主張している。 教育のコンテンツをどこに置き、どのような方向に進むべきか、学校とは何か、学校で何を学ぶのか(学ばせるのか)などを考えてみる必要がある。この際には人権尊重の視点が求められるべきである。 ●定年退職者は日本国民ではない?! 剣呑な見出しをつけたが、これには背景がある。2000年7月12日の日本経済新聞朝刊は、わが国の中途採用の平均上限年齢を41.1歳と報じていた。同時に、米国は40歳以上の労働者について、採用・解雇・労働条件などを年齢で差別することを禁止していることが書かれていた。 日本社会の大きな特徴は個人の能力・努力・才覚を尊重する業績主義にあるのではなく、年齢主義である。企業の採用は、最近若干変化がみられているが、新規学卒一括採用であり、一定年齢による定年である。こうした年齢による規制は当然のことと思われている。加齢者に対する社会の対応は残酷である。上記記事のように40歳を過ぎれば雇用されることは難しい。まして定年者の雇用に至っては悲惨である。定年退職者でやる気、能力がある人が就職活動をしても、求人側は、定年退職者を雇用するような物好きはま−いないでしょうという雰囲気で、先ず相手にされない。国の統計でも「働く意思と能力」を持ちながら、65歳以上ということで失業者の中に入れられず、国の失業率は低く集計される。日本国憲法第27条第1項「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」の規定は65歳以上の日本国民には適用されていない。 こうした年齢差別は、性差別の問題よりも注目されていない。 ●人権尊重・人権教育を教育の原点に 民主主義社会ではこうした男女差別や年齢差別など、およそ人間を差別することは許されないはずである。子供・老人・病人・障害者等の弱者に対する差別・人権無視も、残念ながら、存在する。いじめ問題の多発も、人に対する思いやりの高まりでかなり消滅可能である。 もう一度、差別を許さない社会を構築するために、人権尊重の教育を考え・学び・実践すべきである。そして何歳であっても社会参加のできるシステムや教育の在り方が見直され、構築されるべきである。若い君たちが学校で学ぶ際には、この視点を忘れないで欲しいと願っている。 |
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